「佐々木美術館9周年芸術祭」6/26(日)までの開催となっておりますが、それぞれの展示室についてご紹介します。
展示室a 吉田 淳治
いつもの周年祭は展示室aは佐々木正芳が担当しておりますが、今回は遥々、愛媛県宇和島からの出品ということ、正芳が吉田さんの作品にとても惹かれていたことで、正芳の指示もあり展示室aを使っていただきました。展示室に入ると美しい青の作品が並びます。私も青をよく使うので、その美しさには心惹かれます。一見抽象画のようですが見る方によって様々な景色が見えてきたりするようです。絵画というのは描き方も人それぞれ、見かたも人それぞれです。吉田さんのエッセイ集「ゆらぐハコ」にご自身の作品について述べている文章があります。『・・・たしかに僕の絵にはいわゆるモノが描かれていない。 では何を描こうとしているのか。強いていえば、見てきたモノと僕の間に必ず存在した空間だ。空間がなければモノも見えない。具象画と呼ばれるものにも、モチーフから派生する空気感を捉えるということはあるが、僕は空間そのもにアプローチする。たとえば、日本画に多くある何も描かれてない余白。ただそれは、モノとして目に映らないだけで”描かれた余白”なのだ。 とすると、僕のいう空間はリアリティーを帯びてくる。モノではなくとも”見えるもの”として、現実で捉えることができるのではないか。であれば、その空間を抽象画とは呼べず、僕が抽象画家だとは言えなくなる。』
展示室b 佐々木 正芳
普段は常設展示で20点以上の作品をセレクトしていますが、今回は小さめの展示室に7点を厳選いたしました。
疫病や戦争が始まったりと、不安定な世の中ですが正芳のメッセージは現代でも当てはまるのではないか、と感じています。
以下、正芳が1981年の美術誌「ART VISION」9月号に書いた「目撃シリーズ考」より、抜粋いたしました。
「・・・エア・ブラッシを持ち、この仕事を始めてから 13 年目になる。その間には発想も表現の意図も、技法も又技法に応じてスタイルも随分変わってきた。現代と人間を捕えたいという目標は変わりな いが、私の人間観も年と共に様々な屈折を経て変わって来ているようだ。初めの頃は告発、諷刺の 意図が強くあったが、近頃は現象そのものより、それ等を突き抜けて見えてくる人間の本質にせま りたい気持ちが強い。告発、諷刺すべき問題は 10 年も前に皆やってしまった様な気がする。右傾 化の「予感」、「砂の上の日本」……。今問題は沢山あるが、その質、問題の成り立ち方は何も変わ ってないからだ。
ところで、人間とはなんだろう。この恐るべき欲望の固まり、強烈な権力志向、とてつもない体 制を組織し統制し、思うがままに傾けるかと思えば、小さな家庭をも統御出来ずに破局に向かう。 驚くべき明晰な頭脳、あくなき探究で宇宙を拓き、生命の謎を解明し神の領域にせまるかと思えば、 古来変わらぬいじらしき愛を営み、小さな離別に打ちひしがれる。二千年、遂に平等を成し得ず、 争いを繰り返すおろかさ……。笑い飛ばせば悲しくなるし、悲しみ愛でるには又あまりにも怖い存 在。とても描きれるものではない。だから又描くのだろう。」
展示室c 木村 良
美術館2階の最初の部屋に、木村良さんの作品を展示していただきました。木村さんはデザイナーやアートギャラリーの経営などを経て、49歳から絵画を制作し始めたという異色の経歴の方ですが、昨年、秋保地区内のカフェやレストランにアート作品を展示した「akiuluminart」でもSOBA TO GALlETT あずみの さんに作品を展示していただき、多くの反響を得ました。自由な作風は色使いもとても魅力的で、描く楽しさを体現してくれています。今回は「the SOUND OF AKIU UNIVERS E」シリーズの第2部、秋保の文化や佐々木正芳をオマージュした作品を展示していただきました。あえてスタイルが無い、というところが自身の特徴であり長所なのかな、と木村さん。是非ご覧いただきたいと思います。
木村良
きむらりょう宮城県石巻市生まれ。仙台市在住。
グラフィックデザイナー、美大生、ギャラリー企画運営等を経て、現在は絵画制作を主体に非常勤講師やフリーランスとして活動。日々の生活で感じた身近なことをテーマに、スタイルにこだわらない多様な試みで「絵画とは何か」を模索、探求している。
展示室d 伊東 卓
伊東さんの写真は防空壕や弾薬庫跡、炭坑跡などから外の光を捉えているもの多く、それは闇の中から眩しい外の恨めしい光なのか、希望の光なのか。伊東さんの今回の作品は全て大倉の水力発電所跡付近で撮影したものだそうです。
『光の穴』
「幼い頃、習い事をさぼった罰としてよく母に風呂場に閉じ込められた。住んでいた借家の中に風呂場はなく、外に後付けで造ったトタン小屋のような狭いところだった。窓のないそこは夜になると真っ暗で、数時間の間私は恐怖の中で許しを乞うしかなかった。それは永遠に続くように感じた。やがて暗さに目が慣れてくると観念して、暗闇をただ見つめていた。そして外の月明かりを想っていた。今でもあの闇は私の中にある。大正時代に建設された水力発電所。ダムができたことにより、その役目を終えてから半世紀以上が過ぎた。そこに日の光が差し込み、月明かりが落ちる。幼い頃の私が夢想した光と変わらないのだろうか。おそらく光は太古の地上にも射していたのだろう。そしてそのことに私は安堵する。」
伊東卓
展示室e 翁 ひろみ
今回の展示にあたり、翁さんから『展示室の窓を塞ぎ、15センチほどの縦長の隙間を造ることなんてできないかしら』との相談を受けた。「やります」と即答しました。出来るかしら。でもやってみたいワクワクの方が遥かに大きく、翁ひろみさんの空間へのこだわりを共有できるということ、それは大変有意義な事でした。施工して「これはきっと翁さんの希望通りのものができたのではないか」と達成感がありました。15センチの窓からは展示室にうっすらと、鋭く光が入り、秋保の地に佇む小屋をオマージュした作品を照らします。そして、その窓からは秋保の空や山々、古びた民家、そして佐々木美術館の建物を望むことができます。翁さんが秋保の地で作品を発表することへのこだわりが詰まった展示室となりました。
OKINA HIROMI WORKS「角のある形ー余白」2015-2019 より
空間と物との関係性は、光の介入によって成立する
物の陰影が作り出す輪郭や、間の切れ目が空間を切り取ることで、
余白は作られる
光と物が存在しなければ、空白のまま余白という実態は無い
物が余白を作り、余白が物の存在を明確にする
場景は視る力によって変化し、人は、それを時間の経過として知覚する
私の物を造るという行為は、余白を形成する作業だと考えている
作品や、物の形状にこだわりを持つまでもなく、輪郭を生み出す為の僅かな
明りと、微かな影があればいいと、今は思う